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火の国のおはなし

なぜ熊本は「火の国」と呼ばれているの?

熊本県には、「火の国」と「水の国」という、一見矛盾する2つの異名があることをご存知でしょうか?

今回は、なぜ熊本が「火の国」と呼ばれるようになったのか、実はまだまだベールに包まれていることも多いその由来をご紹介します。
►「水の国」の由来はこちら

知れば知るほど、すごい!もっと知りたい!という気持ちがどんどん湧いてくるはずです。

熊本の魅力である歴史や豊かな風土が大きく関係している「火の国」の由来を知っていただいた後には、今よりもっと熊本のことを好きになっていただけると思います。

それでは、ちょこっと熊本を知る旅へ行ってらっしゃい!

 

 

目次

1. なぜ熊本は「火の国」と呼ばれるの?

・白髪山(しらがやま)の怪火説
 ►「肥前風土記」物語
 ► 火の君一族のその後

・八代海の不知火(しらぬい)説
 ► 不知火とは
 ►「日本書紀」物語

・阿蘇山説

2. 謎の多い「火の国」


 

 

1. なぜ熊本は「火の国」と呼ばれるの?

熊本県は「火の国 熊本」と呼ばれていますが、その由来には諸説あります。
代表的な由来を3つご紹介します。

 

白髪山(しらがやま)の怪火説

「肥前風土記」より、第10代天皇・崇神(すじん)天皇が名付けたとする説です。

 

►「肥前風土記」物語

天皇に従わない益城(ましき・熊本県の中部に位置する上益城郡の町)の豪族を討つために、
天皇の命を受け、やって来た健緒組(たけおぐみ)。

健緒組が豪族を討った夜、夜空に不思議な火が出現。
その火は徐々に降下して、八代郡の白髪山に移り、燃え上がったのです。

それを見て驚いた健緒組は、崇神天皇に報告をします。
「火の下る国であるから火の国というべし」と崇神天皇は定め、さらに健緒組へ褒美として「火の君」という姓名を与えたと言います。

 

► 火の君一族のその後

その後、火の君一族は、肥後国(ひごのくに・熊本県の旧国名)で最大の豪族になっていきます。
現・氷川町(ひかわちょう)にある野津古墳群(のづこふんぐん)は、火の君一族のお墓である可能性が高いと考えられています。

 

八代海の不知火(しらぬい)説

「日本書紀」より、第12代天皇・景行(けいこう)天皇が名付けたとする説です。

 

► 不知火(しらぬい)とは

夏に発生する蜃気楼現象のことを「不知火」といいます。
熊本県では、八代海で見ることができます。

海面と干潟の温度差が生じることで、光の異常屈折が起こり、
遠くの漁火(いさりび・夜間に魚を集めるために漁船でたく火)が見える現象です。

 

►「日本書紀」物語

九州地方を巡幸していた景行天皇。
八代海上の船で方向がわからなくなっていた際、遠くに灯された火によって陸に導かれます。
「誰が火を灯してくれたのか」と陸の人々に尋ねたものの、誰も知らぬ火(不知火)であったという不思議な逸話が記されています。

このことから、景行天皇が不思議な火を見た場所を「火の国」と名付けたという説があります。

 

阿蘇山説

世界最大級のカルデラ(火山の活動によってできた大きな凹地)を持つ「阿蘇山」。
活発な活動を続ける阿蘇山の噴火による炎が、「火の国」の由来とする説も一般によく知られています。

また先述した、火の君一族は火を自由自在に操り、その不思議な力の源は古くから活動を続ける阿蘇山の火であると信じられていました。

 

 

 

2. 謎の多い「火の国」

今回、代表的な由来を3つご紹介しました。

始めて知った!という方、ワクワクしませんでしたか?
すでに知っていた方、もっと知りたい!と感じませんでしたでしょうか?

どの由来も「火」に関係している・・・ということは分かっても、明確にはどれが本当の由来なのか分からず、実は謎の多い「火の国」。
さまざまな側面がある、豊かで複雑な熊本の風土や歴史を表しているようですね。

これから「火の国 熊本」と聞いた際には、由来についても、ふっと思い出していただけると嬉しいです。

 

参考資料
火の君の里・竜北 | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。
熊本県はなぜ「火の国」と呼ばれるのか | くまきゅー|熊本が好きになるローカルメディア
熊本県はなぜ「火の国」なの?その由来とは? – 日本文化研究ブログ – Japan Culture Lab
【マメ知識】「九州」「火の国」の由来、知っていますか? | R60
熊本県はなぜ「火の国」と呼ばれるのか

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